夏で待ってる

短歌感想etc…

僕と短歌について。

数日前叔母から『たやすみなさい』をもらった。
一通り読んでみたけれどいい歌集だと思った。
思えば短歌を本格的に始めたのも叔母からもらった短歌アンソロジーを読んだのがきっかけだった。

それから約2年間短歌を作り続けた。自分の頭から作品が生まれるのが単純に嬉しかったし、自分に才能がないのはわかっていたから才能が枯渇しないうちにと一心不乱に作った。
それから物を見る目が変わった。それまで見落としていたものが、自分の感情をくすぐる題材に変わっていった。

作った短歌は713首になったけれど、作りたいものは美しいのもので、それは最初から全く変わらなかった。

短歌を作っていた時は、いつも感情とゼロ距離のひりついた感覚を書きたい、と思っていた。そんな時に『砂丘律』に出会った。特に、また言ってほしい、の短歌を初めて読んだ時は感動して自分の読みたいもの、作りたいものが決定的になった。

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さっきアップした連作はTwitterから離れていたこの1年で作ったものだ。短歌への思いと彼女と生活する中で感じたことを詰め込んだつもりだ。
短歌はもう作らないけれど、最後に納得したものが作れたから、これはこれで良いのだ、と思う。

一度、僕は短歌は生活の二の次だというツイートをした。その考えは今も変わらないけれど、ちょうど短歌を作れなくなる少し前に、短歌が自分の中の全てになっていたことに気付いた。その重圧に耐えられなくなっていたのだ。
平たく言えば、『砂丘律』を作りたくなったのだと思うし、この歌集に近づけるまでの才能と根気がないことに気付かされたのだと思う。

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短歌は、31字で自分の感情を載せて相手に届けるものだ。この字数はただ感情を綴るにしては長すぎるし、全てを書き切るには短すぎる。このバランスがちょうどいいのだと思うし、その魅力に取り憑かれていた。

僕の短歌は断片的すぎるし、独りよがりだ。連作は不恰好なストーリー仕立てにしたがるし、そのくせしっかりとした結末を用意しない。
でもこれが僕の作りたいもので、それは作るものが変わっても創作を続ける限り変わらないと思う。

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このアカウントは残しておきたいと思う。
僕には好きな歌人がいた。比喩が卓越していて、言葉の持つ力を引き出すのが上手な方だ。
だけど彼女は、僕が彼女を知ってから数ヶ月後にアカウントを消してしまった。
彼女の短歌が十首だけスマホのメモに残してあって、時々読み返す。歌人はそうして誰かの一部になっていく、と思う。そう信じている。

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最後に、このアカウントでやり取りをしてくださった方にお礼を。

飽きっぽい性格の自分がこんなに続けられたのはTwitterでの(いいねを含めた)皆さんとのやり取りがあったからだと思います。

ネットで他人とやり取りをするのは大学生になったばかりの僕にとって刺激的でしたし、随分救われました。ありがとうございました。

新しいアカウントをプロフィール欄に載せておきます。ゆっくりと小説を書いていく予定です。仲良くしてくださる方がいらっしゃれば、ぜひ。

(わがままですが、短歌はまだ読み続けますし、僕がまだ見続けたいと思う方は僕の方からフォローするつもりです。ブロック、ブロ解していただいて構いません。)