夏で待ってる

短歌感想etc…

僕と短歌について。

数日前叔母から『たやすみなさい』をもらった。
一通り読んでみたけれどいい歌集だと思った。
思えば短歌を本格的に始めたのも叔母からもらった短歌アンソロジーを読んだのがきっかけだった。

それから約2年間短歌を作り続けた。自分の頭から作品が生まれるのが単純に嬉しかったし、自分に才能がないのはわかっていたから才能が枯渇しないうちにと一心不乱に作った。
それから物を見る目が変わった。それまで見落としていたものが、自分の感情をくすぐる題材に変わっていった。

作った短歌は713首になったけれど、作りたいものは美しいのもので、それは最初から全く変わらなかった。

短歌を作っていた時は、いつも感情とゼロ距離のひりついた感覚を書きたい、と思っていた。そんな時に『砂丘律』に出会った。特に、また言ってほしい、の短歌を初めて読んだ時は感動して自分の読みたいもの、作りたいものが決定的になった。

          *

さっきアップした連作はTwitterから離れていたこの1年で作ったものだ。短歌への思いと彼女と生活する中で感じたことを詰め込んだつもりだ。
短歌はもう作らないけれど、最後に納得したものが作れたから、これはこれで良いのだ、と思う。

一度、僕は短歌は生活の二の次だというツイートをした。その考えは今も変わらないけれど、ちょうど短歌を作れなくなる少し前に、短歌が自分の中の全てになっていたことに気付いた。その重圧に耐えられなくなっていたのだ。
平たく言えば、『砂丘律』を作りたくなったのだと思うし、この歌集に近づけるまでの才能と根気がないことに気付かされたのだと思う。

          *

短歌は、31字で自分の感情を載せて相手に届けるものだ。この字数はただ感情を綴るにしては長すぎるし、全てを書き切るには短すぎる。このバランスがちょうどいいのだと思うし、その魅力に取り憑かれていた。

僕の短歌は断片的すぎるし、独りよがりだ。連作は不恰好なストーリー仕立てにしたがるし、そのくせしっかりとした結末を用意しない。
でもこれが僕の作りたいもので、それは作るものが変わっても創作を続ける限り変わらないと思う。

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このアカウントは残しておきたいと思う。
僕には好きな歌人がいた。比喩が卓越していて、言葉の持つ力を引き出すのが上手な方だ。
だけど彼女は、僕が彼女を知ってから数ヶ月後にアカウントを消してしまった。
彼女の短歌が十首だけスマホのメモに残してあって、時々読み返す。歌人はそうして誰かの一部になっていく、と思う。そう信じている。

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最後に、このアカウントでやり取りをしてくださった方にお礼を。

飽きっぽい性格の自分がこんなに続けられたのはTwitterでの(いいねを含めた)皆さんとのやり取りがあったからだと思います。

ネットで他人とやり取りをするのは大学生になったばかりの僕にとって刺激的でしたし、随分救われました。ありがとうございました。

新しいアカウントをプロフィール欄に載せておきます。ゆっくりと小説を書いていく予定です。仲良くしてくださる方がいらっしゃれば、ぜひ。

(わがままですが、短歌はまだ読み続けますし、僕がまだ見続けたいと思う方は僕の方からフォローするつもりです。ブロック、ブロ解していただいて構いません。)

今までの短歌抜粋

約束の海で探したカノープス まだ方位磁針は南指せない(2017

帰り道君と作った物語 プロットのまま書けないでいる

間違いを認めないまま大人になった私をどうか知らないままで(2018

別れたいと言う君に文句を言いたいのに甘い思い出しか出てこないじゃないか

もう一度閉園前のゲートで待ってて あの夏みたいに抱きしめさせて(2019

(本格的に短歌を始めたのはここから)

玄関の造花が落ちてもかまわずに抱きしめられたら、帰れなくなる

芸術は早い者勝ちだから君『砂丘律』なんて読む暇ないよ(2020.3

祭り後も君を探して街を彷徨ってないものねだりを続けて 夜明け

ねぇ、ママあなたが作った銃でうるさい鳥を落としたよ ママ

そして「君」のない短歌を思いつく服も雑貨も置いてある店(2020.4)(ツイ)   100

未払いを回収できず泣き寝入りなんて、だめね、今から、海に連れてって

網戸を通した庭園〈にわ〉はモザイク画のようだ ビワを掴むあなたも

史学科の彼が選んだユートピア、結局ラピュタになったらしいよ

コメダでは芸術と言ったけどこれは君を一行に閉じ込める作業

幸福感も薬物療法によるものだ まだ思い出すよ、森の入り口(2020.5

話題作のあとがきを開きぼ、と、ぼと、とこぼれるように巨峰を齧る        200

窓にあと少しでとどくツタがある 君に言えなかったことがある

青春の甘酸っぱさを銀のトレーに残したままだ 庭のイチジク

ぎこちなく少女がおどる踊り場で思春期〈はる〉の呪いはとけはじめてる

ひかり出す教会の電光掲示板 誰かを待つ君と目があう(2020.6

レプリカの腕が天窓に伸びていて動けない僕らに影を落とす

舌でイクトゥスを描くと波打って枯れ草もない君の砂丘

あ、もうこれ、縮まないのねと触れる指先の熱さに魅せられている(2021.3)(ツイ開始)

かさ高いポンプを入れる グッピーは群泳というインテリアになる

退屈な、またそれでいて僕らしかいなかったような夏で待ってる

チェルシーの歯につく感じが好きだった姉さんは今シーシャ屋が好き(2021.4

また君の隣で寝たい 岩波のアンカットほどの刺激が欲しい

桜降る 突風でなく濃紺のベンチで俯く少女のために               300

毒親が耽読していた本をそっとコースターにする姉の眼差し

あなたには見せたくもない羽だった いや、翅のような本性だった

声を出すまでが長くて君に見せたかった鳥の影だけ残る(2021.5

構内の美術展広告を撮る はやくあなたのいいねが欲しい

馬鹿みたいって笑っていたね、アブサンを呷って。海に来てまで泣くなよ(2021.6

宗教の正義を思う 祭壇に少女は金貨と子山羊を捧ぐ

首吊りをしようと縄をかけるけどあなたからのチョーカーが痛い

ゲーセンの青 モラトリアム人間のために作られた快楽がある

花瓶の割れる音がして「ねぇ、先生。私のつらさの何がわかるの?」

紫に汚れた筆も置いてこの街を出ようよ さようなら、モネ

(支配とは?)ニュルンベルクのマイスタージンガー(諦めて目を閉じる)(2021.7

東京タワーが予想以上に大きくて ごめん。花火、見れないな、また(2021.8           400

はじめてのクラフト・コーラあなたから奪った夏はこうも鮮やか

YouTubeで旅客機の環境音を聴く 隣のシートの君を感じる

ジェットコースターの音に目を瞑る君は痛みも受け入れている(2021.9

好きという言葉が好きと言う人の好きにふくまれている自己愛

女子だけが褒められている講堂で加害性だけ抱えて 僕ら

君の絵が外された廊下が騒がしい 緻密な桜の切り絵があって

 

砂を吐く。制服を白く汚すのも心地よかった耽美なふたり

ステージのベリー・ダンスをクバ・リブレで流して堪えきれない笑い

前はよく通った家の薄暗く 梯子の掛かったままのベランダ

花の重さにしなる茎のようにして君と手すりにもたれかかった(2021.10

花言葉呟きあって永遠に変わらないことばかり愛した

濡れた黒葡萄のような尖端も君の一部と認めてあげる

パジャントの石膏像にキスをして 冷たさに君が好きだと気づく

鮮やかな天井画 また少しずつグロテスクになっていくふたり           500

抱きしめる 孔雀の羽根の油絵を壁に飾って見惚れる少女を

逃げだしてしまわないよう抱く 君がここは何処って顔をしてもね(2021.11)

 

 

 

 

 

 

連作について(メモ)

連作とは

物語のような流れのある作品としてではなく、正式な場に作品をまとめて出す形式のことを指す傾向がある

哲学的でなだらかに屹立した詩


【何が評価されるのか】

・雰囲気(アングル、口調、語群)題名を途中から引っ張ってくることも起因

・良い短歌(アングル、口調、構成、絵)強弱をつける 全ての歌に評はつかない


【テーマ】

・表テーマ

時間経過があり、人の行動に関するもの 恋、離別、愛、引越し、絵画を貼る、砂丘に行く

「本当らしさ」を強く思わせる必要がある

起承転結にこだわらない途中で終わったっていい


・裏テーマ

連作の概念、抽象的 漠然とした不安、性自認、思春期、加害性

それこそ言葉にできないような雰囲気として連作に託す

短歌を増やす 棘ができる 複数の系幅を持たせる 隙は作る


【割合】


物語の流れ(3首)(絵の流れ)

裏テーマの変化(2首)(加害性)

別の系(3首)(全体の変化) 

別の系(1首)(思春期の身体) 


地歌1首)(静寂)

①情報を加えるするために必要な歌流れは関係ない、写生、語群

②秀歌を引き立てるために必要な歌秀歌の付近で導入をする

 発見の歌(今風)

④完成度の低い短歌、1割位入れるひっかかり216


【並べ方】


・流れ、系は少なくとも3つ(今回は4つ)それらが編まれて、相互作用を連想させる

・同じ形は離す

・抽象と具体が偏らないようにするここがどこだかわからなくなる

・時間帯、雰囲気でゆるくまとめる

・メインになる用語ははじめにもってくる

・序盤10首と終盤5首で統一されたムード

愛を与える(連作についても)

          *


ラス・メニーナス〈女官たち〉(1656)ベラスケス

謎かけのような構成の作品で、現実と想像との間に疑問を提起し、観賞者と絵の登場人物の間にぼんやりした関係を創造する。

Wikipediaより)


僕がこの絵画に出会ったのは、たしか冬だったと思う。書斎に忍び込んでかじかむ手を温めながら画集をめくっていたからね。

王女と彼女を囲む女官は皆別々の方向を向いていて、なんか怖い絵だなとは思った。それだけだった。

そのあと画集を閉じてライ麦を読んだんだっけ。とにかくこの絵はあんまり印象に残らなかったな。


          *


でも、数年経ってこの冬にもう一回調べ直したら一番好きな絵画になったんだ。今回この絵画を入れた理由として下の2つがあった。


1つ目は、この絵の構図が(国王夫妻の目線から描かれたものだからか)夜中に暗くして友達と映画を見ている途中でみんなでお酒を探す様子に似てたから。その光景をこの絵を用いることによって表現できるんじゃないかと思ったんだ。

2つ目は主体がその絵画の存在を知っていること、つまりはある程度芸術に興味があることを暗に示すためだった。正直、これは成功したかどうかはわからない。


          *


最近は、自分の作風が以前から自分の中にあった写実性から離れている感覚がある。その写実性っていうのは、短歌の中にあるオブジェクトや視線の動きを手がかりにして、読者が作者とどれだけ似た情景を思い浮かべられるかだと思っている。

それがどうもね、最初から可能なことだったのかどうかはわからないけれど、別に写実的である必要もないんじゃないかって思い始めたんだ。さらに言うと、そのイメージ画像でさえうまく描くことのできないようになってきたことも事実なんだけどね。


じゃあ、今は何に重きを置いてるかっていうとね、まあ、一言で言えば空気感のようなものなんだ。だけど、その空気感はひどく個人的でやるせないものばかりだ。


          *


実はこの連作にはこの1年の自分の状態を表現したかった、という裏テーマがあった。

わかりやすいもので言えば血縁主義への反発、教科書上のものと実際のものとの乖離、わかりにくいもので言えば愛の授受、特に与えるいう行為について、なんかがあったんだ。


愛の授受に関しては、もはや自己満足に過ぎない。そんないい加減な出来だ。伝わらなくてもいいかな、くらいの気持ちで書いてしまった。だからこそ、このページでその愛の授受について少し書こうと思う。


          *


愛を与えるという行為はひどく一方向的だ。例えば、目の前にいる相手に何か尽くすのであればわかりやすい。

しかし、相手の顔が見えないシチュエーションもある。

相手がどのように受け取ろうと、それは受け手の問題であって与える側が気にかけるには限度がある。


実家に15歳になる愛犬がいるのだけれど、この冬に1年ぶりに帰省したら、すっかり僕のことを忘れていた。認知が進んでるからね。

それで思ったんだ。犬はこの1年で僕のことを忘れてしまったけれど、僕は彼女のことを本当に忘れずに過ごせていたか、ってね。

つまりはね、授業を受けているときにも、映画を見ているときにも、試験勉強をしているときにも、友達とくだらない遊びをしているときにも、彼女の温もりを思い出せていたのかっていうこと。

僕は、決してそうできていたとは言えない。


12月の夜中、うまくいかないことに悩んで暗闇の中でスマホをいじっていたときに思ったんだ。今、彼女が隣にいて抱きつくことができて、またあの甘ったるい匂いを嗅げたらどんなにいいかって。

それはこちらからの愛の表れであるとも捉えられるけど、自分勝手に彼女を欲しいって思ってしまっているわけだから、やっぱり僕は幼い子供のように愛を受け取るだけの状態に慣れてしまったんだな。


          *


そしてね、この愛には八方美人みたいにね誰にでも与えられれば良いんだけど、与える側にも許容量がある、と思うんだ。

そして、その大きさについて考えてしまう。

そうなれば、必然的に大きさを比べることになる。例えば、僕が誰かに好意を持ったとして、その大きさは愛犬へのそれと比べてどの程度なのかってね感じでね。


その与えることの難しさは、この大きさに関係していると思う。

難しいのは、手段としてではなく自分の中で大小の判別をつけられないからだと思う。


          *


これらの事柄は、僕の短歌だけでなく小説などの創作のテーマとして、とても大きな割合を占めている。

(それが形になったからと言って、特に好転することなどないのだけれど。でも、つまるところ作者自身にとっての直接の創作物の価値は、その程度なんだろうと思う)


でも、僕らはこの難しさを抱えたまま生きていかなければならない。

選択する必要がある。

時にはその容量を増やす必要に迫られるだろう。それは簡単なことではない。責任が伴うから。

育ててくれている親を愛して、近くにいる友を愛して。


          *


今回は、せめてこの愛というものを即物的に(つまりは、僕の生活と考えていたことの割合、大きさを正確に出して)形にしたいと思ったんだ。そのために愛犬に関する短歌は絵画的なものを目指したし、他の短歌では動きを持たせた。

そして、愛犬への思いをかき消すようにこの一年感じたことをふんだんに入れた。個人的には納得のいくものができたと思う。

もちろん、僕がこのほんの1年前まで「愛犬からの愛を一方的に受け取るだけになっていたこと」なんてほとんど気づいていなかったことも含めてね。


          *

連作「耽美なふたり」に関する日記のメモ

●10.16

初々しさ

君との距離感、内向的

果物

学校という支配

黒、静寂

 

●10.17

春とは

夏がやってくる

暖かくなってきて

焦がれるような夕陽の熱を感じられて

でも、それと同時に自分が置いていかれているようなそんな怖さもある

 

【音楽】

春風に殺される

amazarashiさくら

さようなら花泥棒さん

なにやってもうまくいかない

ここで、キスして。

Cherry Red Dress

 

【本】

氷菓

春琴抄

君の膵臓をたべたい

 

●10.20

火曜日水曜日

 

クスノキ、屋上消す

花言葉、葡萄 過去作から入れる

      なにやってもうまくいかないmeiyo

        好きというからも着想

そこから

黒葡萄    彼女の呪いのストーリー

中庭の〜   展開を予測させる

 

今まで参考にしたものプラス自分のプロットセンスから

 

たぶんね、今しかできないと思う

青い感情を覚えている限りの、

 

●10.21

(彼女の悩み)(僕の侵襲的)

早熟、胸、擦る、を入れ、どれだけ学校から離れ普遍的なテーマを詠むことができるか、に注視した

 

●10.24

せめてもの

読み手に、ストーリーになってるけど一つ一つは独立している印象を持たれたい

 

●10.29

テーマ耽美、あんまり現実離れしないように

裏テーマ思春期の悩み、加害性と女性性

     加害性が女性性を救う

 

●10.31

耽美に注目する

孔雀の羽

 

ワードの並び、組み合わせは意識した

 

●11.29

反省

①ストーリーが中途半端

②君の連発

③統一感がありすぎる

④リフレインがだめ

⑤詩的というよりかは説明的、文が多い

硬さ

 

自分が好きなのは加藤治郎氏、千種創一氏。小説だと、村上春樹村上龍堀辰雄の作品だ。それらの雰囲気、流れを汲み取ることを目指した。(結果汲み取ることは、できなかった)

また、最近の作家に影響を受けた、生活詠が主な、軽い口調が目立つ前受賞作品たちへのアンチテーゼでもあった。

人魚の呪い(@yaotanka)さん『バニラ』の感想(ネプリ『クルーラー』より)

こんばんは、夏で待ってるです。

今まで下書きとメモ帳と化していたこのブログですが、今回はネプリ『クルーラー』の人魚の呪いさんの連作『バニラ』の感想を書いていこうと思います。


今回感想を書くにあたって、前から順番に書いていくのではなく、まず好きな(目を引いた)短歌をあげてから、トピックスに分けて連作を読み解いていきます。

そのため2回出てくる短歌もあり、他の方の感想と比べるととても見にくくなってしまっていますが、そのかわり、連作の全体像から細部まで考えることを意識しました。


実は今回、はじめは感想を書くつもりではなかったのです、遅筆ですし。(当然、良い連作だと思ったのですが。)

しかし、あとがきの作者さんの狙いを読んで、このなんとなく良いという感想をそのままにして終わらせたくないと思い、感想を書こうと決めました。


前置きはこれくらいにして、早速見ていきましょう。



目次

①どんな歌人なのか

②好きな短歌

③雰囲気、主体について

④要素の繋がり

⑤別の系

⑥バニラという概念

⑦まとめ




【①どんな歌人か】


まず連作を書く前にどのような短歌を作る方なのかを見ようと思います。

うたの日から下の2首を引いてきました。

(注)爽やかな青年風に見えますが乳首は既に開発済みです


天泣がさめざめ濡らす十京の放射能にて汚された地を

他の短歌も見ると純粋な面白さとシリアスな情景の2つの方向性を得意とする方だと思いました。今回はこのシリアスな側面と、今までにない一面が見られるような連作となっています。


あとがきでは、自身のことを、痛みに鈍く、体が大きいが、心が繊細であると紹介しています。そして、恋愛への虚しさが存在しているということはこの連作とも関わってきそうです。


また、今回のメインテーマは「お菓子」サブテーマ「血迷い恋」であるとおっしゃっています。

ちなみに「血迷う」とは、恐れや怒りのため、のぼせて正しい判断や行動ができなくなる。逆上して心が乱れる(スーパー大辞林3.0より)ことです。


連作では、主体とあなたが出てきます。これからバニラアイスが彼らとどのように関わっているのか、考えていきます。


なお、1.7.9.25.30首目は各2回引用します。

出てくる短歌は以下の通りです。


②好きな短歌

1   7   9   19

③雰囲気、主体について

17   25   29

④あなたについて

72度目)8   92度目)

⑤バニラという概念

12度目)   5   15   24   30



ネプリのPDFを貼っておきます

https://1drv.ms/w/s!Agyod9tWq7oUgQaTHadgzfwqr-Zs




【②好きな短歌】

まずはじめにいくつか好きだった短歌を引いていきます。


1.ああバニラ一瞬光りさみしさを昏さをわたしに教えたバニラ

まずはこの一番最初の短歌からです。バニラアイスでさみしさと昏さに気付いてしまい、そのバニラアイスという存在に対して嘆いているという短歌です。昏さとは、ぼんやりとしていてはっきりとしないという意味ですが、この短歌では「得体の知れないもの」として読むのが妥当だと思いました。



7.LIVEにていつもあなたを眺めてた※スポットライトの激しい点滅※

ライブ会場でステージ上のあなたを見つめている短歌です。何度もライブ会場に足を運んでいることから、この「あなた」は主体にとって「推し」のような存在であると推測できます。

僕は、憧れの人の眩しさの中には、いくら憧れて近づこうとしても完全に近づくことができない苦しさ、切なさが含まれていると思います。この短歌では、苦しいほどの眩しさがフラッシュとして主体の目を痛めているのです。

そんな感情を上手く形にできている短歌だと思います。



9.吐露、吐露、吐露 つぶやくたびに軽くなり後にはなんにも残らなかった

誰かに向かってぼやいても一人でつぶやいていても、その後の相手からのレスポンスがあったり自己解決をしたりしない限りは悩みは消えないということを詠んでいる短歌だと思いました。

初句の字余りがそのイメージに合っていて好きでした。



19.この天がさめざめと泣く間だけ君の隣を許されている

雨宿りをしている間はあなたの隣に居られる、というようなシチュエーションが思い浮かびます。その場合、主体はあなたと気軽に話す関係ではなくこちらの片想いであると推測できます。

また、雨が降る間だけ一緒に入れるというような禁断の恋であるとも捉えられます。どちらにせよ険しい恋路であることに変わりはないでしょう。




【③雰囲気、主体について】


次に連作全体の雰囲気と主体について見ていきます。


雰囲気

この連作にある言葉を大きく分けてみると以下のようになります。

・さみしさ、冷たさ、苦しみ

・雨、海、みずうみ、時雨、溺れる、涙

・燃えている、火花、火、美しい

・甘い

さみしさや雨などの冷たさを連想させる言葉もあれば、火や燃えているなどの言葉もあります。(音忘さんの連作もこのように分けられたため、事前にお二人で決めていたのかもしれません。)

今回の連作ではバニラの甘さが追加されています。この要素がドーナッツの空虚さと対をなして、2つの連作に違いを生み出しています。


また、単語のリフレインやオノマトペ(ゆらと、ざんざん、はらはら、など)も特徴的でした。例えば次の短歌があります。


25.聞こえるか、バニラアイスの断末魔 男にはらはら喰われる時の

はらはらという言葉は、はらはらと散る、はらはらと落ちるというように使われます。食べられる側のバニラアイスのはかなさがこの擬音語によって表現されています。また、断末魔という表現により食べるスピード感が伝わってきました。



主体

次は、主体についてです。


17.人間の罪を焼く火はこんなにもええこんなにも美しいとは

この短歌では何か耽美的な雰囲気が漂っています。具体的にどのようなシチュエーションが考えられるでしょうか。公文書など何か証拠になるものを焼いたり、お焚き上げであったり、(罪と人間、両方を焼くという意味で)魔女狩りなどが考えられます。

「こんなにもええ」という言葉から主体の落ち着き払った様子と静かな驚きが伝わってきます。25首目などからもわかりますが、主体の攻撃性が垣間見える短歌となっています。



29.声を捨て陸に上がったどうせなら猫にでもなってしまえばよかった

声を捨ててしまったので、人間ではなくて猫になってしまえばよかったという短歌です。先ほどの短歌と比べると女々しいというか、ナイーブな印象を受けます。

前後の歌から、ここでいう声とはあなたへの想いを伝える声だとすると、猫になればあなたに甘やかしてもらえるのにと言っているようにも受け取れます。



次は、あなたについて考えていきます。




【④あなたについて】


テーマが「血迷い恋」であるこの連作では、あなたがただの恋人ではないように描写されています。どのような人物なのか、考えていきます。


7.LIVEにていつもあなたを眺めてた※スポットライトの激しい点滅※

②で少し書いたようにアイドルか、バンドかはわかりませんがアーティストであり、主体の推しであることがわかります。



8.あなたへの逆さに咲きし曼珠沙華、火花のような刹那を交わす

逆さに咲きし曼珠沙華というのは、観客側に開かれた花のような何かであるということからビームのようなものだと解釈しました。(数年前に行った椎名林檎のライブでビームがたくさん観客席に注がれていて、その経験によるものが大きいかもしれません。)

あなたのライブの華やかさがよくわかる短歌となっています。



9.吐露、吐露、吐露 つぶやくたびに軽くなり後にはなんにも残らなかった

あなたについて上の2首から考えると、あなたはライブを開催している、それもかなり大きい規模のライブを行うことができるくらい知名度の高いアーティストであると考えられます。


そのことを踏まえると、この短歌はTwitterで呟いているというようなシーンであるとも考えられます。なんにも残らなかった、という言い方には、どんなに呟いても自分とあなたを繋ぎ止めるものも手段もないという状況を表しているようにも読めます。




【⑤バニラという概念】


この連作を読むと、このバニラがただのアイスだけをさしている言葉ではないということはわかります。では具体的にどう描写されているのでしょうか。

最後に今までの事柄を踏まえつつ考えていきたいと思います。


あとがきには、お菓子というモチーフに誤魔化しや虚飾のイメージを抱いている、とあります。そのような部分も合わせて考えていきます。



1.ああバニラ一瞬光りさみしさを昏さをわたしに教えたバニラ

先ほども引いた1首目の短歌です。バニラは主体にさみしさを教えた存在として登場します。そして、なんで教えてしまったんだと嘆いています。

なぜさみしさと昏さを感じたのでしょうか。それは、バニラアイスの持つ白さと甘さが現在の主体の状況と真逆であるからだと思いました。

主体の求めている恋の甘さと明るさを味覚と視覚として実感してしまったのです。



5.悲しみのエッセンスつまりわたくしを一滴垂らしてあなたをバニラ

この短歌は解釈の難しい短歌でした。私をあなたに注ぐことによってあなたをバニラのような状態にするという短歌です。

「バニラのような状態にする」という表現では何か侵襲的な印象を受けます。

そのため、上でバニラは甘さと明るさの象徴であると書きましたが、それだけではなくこの短歌にはその裏に隠れた虚飾であるという見方も含まれていると思いました。



15.いつからか冷めてしまったコーヒーのバニラアイスを沈めて遊ぶ

続いて、そんなバニラをつついているシーンです。単につつくだけではなく遊んでいるという表現から、主体のバニラに対する優位性とバニラへの攻撃性が表れているとも考えられます。



24.若水と人魚の肉を求めゆく人は誰でも老いてゆくから

食べると不老不死になる食べ物を詠んでいる短歌です。

この短歌では、直接バニラを詠んでいるわけではないのですが、バニラに対して、俺がほしいのは甘ったるいだけのお前じゃないんだぞと暗に言っているかのようです。また、甘さで無能さを誤魔化しているんじゃないぞと言っているようにも思えます。

最後の短歌の呪いにも関わってくる短歌だと思いました。



30.嗅覚と味覚の呪縛食べるたびあなたを想う、呪うぞバニラ


上で恋を連想させる甘さであると書きましたが、そのため食べればあなたのことを考えずにはいられなくなってしまうのに、どんなに考えてもあなたを自分のものにすることはできません。

そんなやり場のない思いを呪うという言葉で表したこの短歌で、この連作は終わります。

最後までバニラに対する誤魔化し、虚飾のイメージは消えないのでした。



【⑥まとめ】


それでは、まとめです。

雨や涙で濡れて。それでも憧れを抱えたまま生きていかなければならないとします。では、その行き場のない思いはどこへ向かうべきなのでしょうか。

あなたに触れることができない主体はその感情を、バニラにあたることで発散することを選びます。


そして連作の中でバニラはさみしさ、甘さを持つだけでなく、虚飾などの負のイメージも含まれています。そのことが主体の感情と、この連作全体に深みを持たせていると思いました。


最後に。

恋は盲目という言葉があります。

恋におちると理性や常識を失ってしまうということですが、今回、被捕食者の側であるバニラを用意することにより、主体の激しさを効果的に表現することができていたのではないかと思います。

音忘信(@onborn6)さん『ドーナッツ・リパブリック』の感想(ネプリ『クルーラー』より)

こんばんは、夏で待ってるです。

今まで下書きとメモ帳と化していたこのブログですが、今回はネプリ『クルーラー』の音忘信さんの連作『ドーナッツ・リパブリック』の感想を書いていこうと思います。


今回感想を書くにあたって、前から順番に書いていくのではなく、まず好きな(目を引いた)短歌をあげてから、トピックスに分けて連作を読み解いていきます。

そのため2回出てくる短歌もあり、他の方の感想と比べるととても見にくくなってしまっていますが、そのかわり、連作の全体像から細部まで考えることを意識しました。


実は今回、はじめは感想を書くつもりではなかったのです、遅筆ですし。(当然、良い連作だと思ったのですが)。

しかし、あとがきの作者さんの狙いを読んで、このなんとなく良いという感想をそのままにして終わらせたくないと思い、感想を書こうと決めました。


前置きはこれくらいにして、早速見ていきましょう。




目次

①どんな歌人なのか

②好きな短歌

③雰囲気、主体について

④流れ

⑤まとめ




【①どんな歌人なのか】


まず連作を書く前にどのような短歌を作る方なのかを見ようと思います。

作者の音忘信さんは2020.8月からTwitter2021.1月からうたの日で短歌を投稿されています。


以前、#自分で自分らしいと思う既出の短歌ひとつふたつ教えてくださいというハッシュタグ

『皮肉とユーモアと真っ直ぐな目。それらを詠めたら良いです』

とおっしゃっていました。

特に引かれていた

バス停に類人猿が割り込んでとても知能が高いと思う

は作者の皮肉の要素が色濃く現れた短歌になっていました。今回の連作では、真っ直ぐな目の側面が存分に発揮されています。


また、あとがきにはテーマはお菓子、裏テーマは社会性でもう一つくらいあったはず、とありました。見つけていけたら、と思います。


なお、1.3.11.15首目は各2回引用します。

取り上げる短歌は以下の通りです。


②好きな短歌

1   4   10   14   15

③雰囲気、主体について

2   3   5   9   11   12

④流れ

12度目)32度目)112度目)152度目)


ネプリのPDFを貼っておきます。

https://1drv.ms/w/s!Agyod9tWq7oUgQaTHadgzfwqr-Zs




【②好きな短歌】


まず、はじめに好きな短歌を引いていきます。


1.誰にでもできる仕事を積み上げて社内デスクの孤島が縮む

まずはこの一番最初の短歌から。サラリーマンである主体がデスクで雑用をこなしているシーンです。誰にでもできる仕事という表現からは空虚感と主体の自虐的な様子がわかります。

この短歌の注目すべき点は「孤島が縮む」という表現です。デスクで一人、誰とも話さず黙々と仕事をすることで孤独感が増していく、というメンタル的な負のスパイラルが出来上がっていることがわかります。

この連作は、この連作を象徴するような短歌で始まります。



4.昼間より価値が下がったそれぞれをすぐ捨てられる箱に詰めてよ

次はこの短歌。題名や流れから考えると「それぞれ」はドーナッツのことでしょう。すぐ捨てられるという言い方からは、悲観的な印象を受けます。木下龍也っぽいユーモアさが好きでした。



10.むしゃむしゃと貪る間は何事もかんがえなくていいよむしゃむしゃ

主体がドーナッツを食べている間は何も考えなくて済むよ、と報告している場面です。

その相手は誰でしょうか。読者かもしれませんし、独り言かもしれません。

「考えなくていいよ」と教えているような言い方から、配信で語りかけているような臨場感と得意げな様子が伺えます。

僕が好きなのは最後の「むしゃむしゃ」という表現です。頬張っている様子やおどけている感じが聴覚として読み手に伝わってきます。



14.環状線の音が聞こえる 明日もまた流れる人に流されていく

前の短歌で聴覚に触れましたが、この短歌も聴覚に関する短歌です。流れる人という表現から電車ではないかと考えられます。夜に静かな部屋の中で外の音が聞こえると一瞬押さえつけられるような不安な気分になります。主体はその音に、流されてしまう自分の虚しさを感じたのです。



15.ドーナッツ・リパブリックが建ち上がる孤島の周りの海を埋め立て

最後は、1.の短歌と対応しているこの連作最後の短歌です。1.と対応していることを考えるとデスクでのシーンであると推測できます。

抽象的な短歌であり実際何をしているのかははっきりとはしませんが、埋め立てて国が立ち上がるので、少なくともこの短歌における「国」が広がっているということはわかります。

「建ち上がるどのように建ち上がるのか広がりながら」というように倒置にして情報を追加することにより、景がイメージしやすくなっています。細かい1.との対応は④で書きます。




【③雰囲気、主体について】


次に連作全体の雰囲気と主体について見ていきます。


雰囲気

この連作では、孤島、空洞などの孤独を連想させるような言葉が多く見られます。また、うざい、貪るなどの語気の強くなる場面もあります。それらのギャップがとても印象的でした。

また、静かという言葉は使っていないけれど、全体として感じられる静寂がこの連作の雰囲気を決定づけていると思います。

例えば次の短歌です。


11.次々に孤独を荒らす波として涙のそばにある咀嚼音

咀嚼音が直に耳に届くことにより、孤独感が薄らいでいくという短歌です。(10.から、咀嚼音が主体の頭に浮かんでしまう考えをかき消している、とも読めます。)

咀嚼音だけが聴こえているという状況からこのシーンはとても静かであることがわかります。



このような静けさがより一層主体の孤独感を浮き彫りにしています。



主体

次は主体についてです。主体について知るために以下の5首を見ていきます。


2.街中の人がタトゥーを掘ってたら僕もタトゥーを掘ったと思う

タトゥーは日本ではたまにしか見ませんが、アメリカなど海外ではファッションの一つとして定着しています。

この短歌には主体の軸のなさ、流されやすい性格を表れています。また、タトゥーをかっこいいと思う、若者っぽさも見られます。

この短歌を読んだときは、この主体もドーナッツのように芯のないような人物なのだろうかと思いました。

しかし、それ以外の要素も持ちあわせていることが次の短歌でわかります。



3.空元気セールがうざい駅中の明日には消えるドーナッツ店

帰り際によったドーナッツ店の店員の声の閉店セールを鬱陶しく感じているという短歌です。

自分とはあまり関係のないことで、苛立ちを感じていることから(もしかしたら、この主体は頻繁にこの店でドーナッツを買っていたのかもしれませんが。)先ほどの芯のない様子とは異なっています。

なんだか小市民的な印象を受けます。

また、空元気、つまりうわべだけ元気よく見せているのだと捉えているから、冷静に観察していることがわかります。



5.愛とかがわからなくなる玄関で豆電球をゆっくりつける

単純な作業をするときって無心になっていたり、次することを考えていたりすることが多いと思うのですが、この主体はそんな少しの間に愛について考えています。

先ほどの様子とは打って変わって、哲学的な青年の一面が見えます。

この短歌ですぐ苛立ってしまうキレやすい側面と、物事を冷静に観察する真っ直ぐな側面のふたつの性格を持っているようだと思いました。



9.スピッツなら死とセックスを歌うだろう食べかけのまま置くドーナツ

先ほどの真っ直ぐな側面の繊細さがわかる短歌となっています。スピッツが死とセックスについて歌うなら自分は何を歌うのか、と考えているシーンです。

ドーナッツで誤魔化すんじゃなくて、孤独感に向きあうべきだと自分に言い聞かせているようにも思えます。

(そういえば、スピッツって、あんまり孤独について歌ってる印象ないですね。内気で繊細な、でもちょっとむっつりな青年を歌ってて、その中にひとつ支配的な性質だとか、お茶目な要素が垣間見える印象ですね。)



12.満月にガーゼのような雲かかり完璧じゃないから面白い

この前までの繊細な様子から息を吹き返すシーンです。二面性を持っていると書きましたが、その二つの領域を常に行ったり来たりしている様子がこの短歌からわかります。


このような状況の中で連作の最後に大きなアクションを起こします。

最後はその流れに注目して見ていきましょう。




【④流れ】


それでは今回の連作の流れを見ていきたいと思います。なおこれから出てくる短歌は全て今まですでに一回引いた短歌になっています。


1.誰でもできる仕事を積み上げて社内デスクの孤島が縮む

まずはこの短歌です。

仕事をしているという状況を描写すると同時に主体の孤独感とやるせない気持ちを提示しています。


3.空元気セールがうざい駅中の明日には消えるドーナッツ店

次はこの短歌です。

1.の短歌では自分の抱える問題を提示していましたが、この短歌ではそれを解決するトリガーとなるドーナッツが登場します。


11.次々に孤独を荒らす波として涙のそばにある咀嚼音

少し跳んで主体がドーナッツを食べているシーンです。

今回は波という表現に注目したいと思います。

絶え間なく来る(聴こえる)という点から咀嚼音の比喩として用いられていますが、1.に孤島、15.の短歌に海が出てくること、それらを媒介するのが波であると考えると別の見方をすることもできます。(飛躍のしすぎかもしれませんが。)

それは、この連作におけるドーナッツが主体と社会を繋ぐ波の役割を担っているということです。しかも、孤独を荒らすくらい強い波(言い換えれば、衝撃)として、です。



15.ドーナッツ・リパブリックが建ち上がる孤島の周りの海を埋め立て

最後にドーナッツ・リパブリック(リパブリックとは共和制のことであり、本来は国を直接表すものではないのですが、今回の流れから、新国家のようなものであると考えました。)の建国を宣言してこの連作は終わります。


僕は、この短歌は主体の決意とアクションの両方を表している短歌だと思いました。そのためこのような抽象的なものになっていますが、1.との対応を考えると次のように推測できます。

1.では仕事をして孤島が縮み孤独感が増大しています。それでは15.では、仕事を放棄することにより孤島が広がり孤独感は薄らいだと読み取れます。これではわざわざ職場に出てきている理由が明らかになりませんが、例えば上司や同僚にもっと他の仕事をしたいと言ってみるなどの、何らかのアクションであることはわかります。

この短歌の注目すべき点は、最後の埋め立てるという力強さです。今までは、その強さがドーナッツ店などの自分の問題とは離れた部分で現れていたのに対し、最後は自分の抱える問題である孤独感ややるせなさへの反発という形で表れています。




【⑤まとめ】


それでは、まとめです。

作者さんのいうもう一つの要素は、主体の決意だと思いました。

連作全体にゆるやかな流れがありその流れの中でしっかりとした輪郭を持った主体が2つの性質の中で揺れ動く様子と、リパブリックを起こすという小事件が、犯人の目線から見るかのように静けさとともに描写されていました。


主体がどうなったのか、読者に想像させるような終わり方になっていますが、ドーナッツをひとつのきっかけとして今までとは違う姿勢で生きはじめたことは確かです。

しかし、その結末は(その決心をする過程も考えると)少し危ないものになるのではないかと思うのは僕だけでしょうか。そんな少しの破滅的な予感のする連作でした。